新橋玉木屋
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●新橋玉木屋のおはなし
●佃煮のおはなし
●座禅豆のおはなし
 新橋玉木屋の歴史は、江戸時代、天明二年(1782年)に始まります。

 この年、越後の国 通称・玉木村の七兵衛が江戸片側町(現在の新橋一丁目)に小さな店を構え、 郷里の名にちなんで玉木屋と屋号を称しました。

 当時は家伝の「座禅豆」で知られていましたが、時代が進み、三代目七兵衛のとき佃島の 漁民が小魚を煮て売っていたことに着想し、独特の風味を添えた「つくだ煮」を創りあげた のです。

 「つくだ煮」は「座禅豆」とともに、当時最も華やかに開花していた江戸文化の中で 粋な通人たちの好みに合い、それまでにもまして新橋玉木屋の名は江戸八百八町の隅々に まで広まっていきました。

 明治維新が訪れ、文明開花華やかなりし頃、 玉木屋は「玉木屋の座禅豆、座禅豆の玉木屋」といわれるまでになり、年末には顧客を整理するため、青竹で竹垣を作ってその混雑を防いだところ、その客の 列は二丁余り続いたと言われています。

 そして時代は大正、昭和を駆け抜け平成へ。めまぐるしい移り変わりのなかで、新橋 玉木屋は創業以来ずっと同じ場所に店を構えています。 現在の「玉木屋七兵衛」は九代目。 伝統の味づくりの心と腕を脈々と受け継ぎ、今日もなお、その純粋な味と 香りは引き継がれているのです。
 江戸時代の初期、摂津の国「佃村」という小さい漁村の漁民たちは、大阪の陣の活躍などにより 徳川家康から全国どこでも無税で漁が出来る権利を与えられました。

 漁民たちは、その恩に報いるため、年に一度幕府へ魚を献上していましたが、いっそ江戸へ 移住しようということになり、名主孫右衛門以下30余名が隅田川河口の中州(現在の東京都中央区 の南東部に位置する隅田川左岸あたり)に移り住み、そこを故郷の村の名をとり「佃島」と名づけました。  その後、諸侯へ納める魚の残りの雑魚を醤油で煮て、自家製の惣菜として近所で売ってみたところ、 保存がきいて、値段も安いと評判になり、佃島の名をとって「佃煮」と呼ばれるようになりました。

 やがて佃煮は幕府御用達にまで昇格し、参勤交代の大名たちの江戸土産として重宝されるようになるのです。

 その佃島の漁民たちが保存食としていた佃煮に目をつけたひとりの男がいました。 当時すでにその名を轟かせていた「玉木屋」の三代目七兵衛です。

 七兵衛は、佃島の漁民が小魚で作った保存食から発想し、製法にさらに独自の工夫を重ねて味・香り・艶と 三拍子そろった江戸佃煮を完成させました。

 それが世界でも希な200年以上の歴史をもつ「保存できる即席食品」の始まりであり、 三代目七兵衛は佃煮づくりの元祖と呼ぶことができるでしょう。
 天明2(1782)年、越後の国 通称・玉木村から、青雲の志を抱いて江戸に出てきた初代の玉木屋七兵衛が、 禅宗の住持から黒豆を砂糖味で煮ることを教えてもらって「ザゼン、ザゼン」と連呼しながら座禅豆として 売り出したのが始まりといわれています。

 何故、「座禅豆」と呼ばれたのでしょうか。

 僧が座禅を組む時に食べたので「ざぜん豆」と呼ぶように なったという説と、原料のがんくい豆の形が座禅の組み足に似ているからという説があります。

 この座禅豆をはじめとする玉木屋家伝の煮豆は、江戸の風流人・方外道人の著した「江戸風物詩」でも 取り上げられているほどの逸品です。
明治時代には、生粋の江戸っ子作家 永井荷風は・・・

 余、十年前、築地に仮住居せし頃には、日々玉木屋の煮豆味噌などを好みて食しぬ。
 この日たまたま重ねてこれを口にするに、その味十年前と更に異なる所なし。
 玉木屋はさすがに江戸以来の老舗なるかな。
 何年たちても店の品物を粗悪にならざるは、当今の如き余にありては誠に感ずべきことなり。

と、著書「断腸亭日乗」日記に記しています。

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